昨日同僚が上司に仕事の事で注意されているのを近くで聞いていた。この同僚はあまりコミュニケーションが得意でない為、上司や他部署の人間といわゆる「報連相」や他愛ない雑談などの会話をする機会が少ない。そのせいかこの上司からの評価や信頼があまりないようで、自分からすると大したことでもない事で度々注意されている。
ただ自分も人と話したり、いわゆる「コミュニケーション」は苦手なほうで今も願わくば誰とも会わず一人で家に引きこもって過ごすのが一番の希望だったりする。(それじゃあイクメン失格だ(‘◇’)ゞ)そんな性格の為、コミュニケーションの回数が少なくても円滑な関係が築けるよう巷で溢れている色々なノウハウ本を見たりして実践するが効果ほぼなし( ;∀;)
効果がないので段々それらのノウハウを実践するのも嫌になってきたのと、仕事の真面目な話ばかりするのも嫌になってきたのもあって、全然関係ない雑談を人とよくするようになった。(小池都知事って最近化粧厚くなった?みたいなどうでもいい内容)そうすると不思議とそれまであまりシックリきてなかった人とも会話するのがそんなに嫌じゃなくなってきたし、仕事もしやすくなった。
この経験から思ったのがコミュニケーションは「質より量」が重要だということ。なんでもよいので会話を多く行えば相手が「こいつ意外といいやつかも・・・」等と思ってくれ結果として人間関係が円滑になり仕事がしやすくなるような気がする。
もう一つ。先程の同僚の話に戻るが実は自分も同じような仕事を処理をしているにも関わらずその上司からは特にお咎めなし。自分と上司の関係はまずまず良好な状態(多分(;^_^A 勘違いかもしれないが・・・)
この事や自分のこれまでの経験からも人が他人の意見や話を聞くときに重要なのは、その内容の正当性や理屈が正しいかとか、そんな事よりもその人にとって相手が「好きか、嫌いか」といった「感情」もしくは「印象」「評価」なのかなと思った。極端な話どれほど話の内容の理屈が正しくても嫌いな相手から言われると「でもそこは違うのでは?」等とどうでもいいような小さなところを拾って反論したくなる。逆に好きな相手が言ったことなら多少おかしな所があっても「オールオッケー!(西川貴教的にも)」となりやすいような気がする、多分。