モアナと伝説の海はディズニーの新しいプリンセス像を描いた映画だ

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この「モアナと伝説の海」は日本公開は2017年の3月10日。

WOWOWで放送されたのが1月でとりあえず録画。

やっと、最近この話題作を観ることができたので、今更遅すぎる感はあるが感想を書いてみる(^-^;

 

あらすじ

舞台はハワイをモチーフにしたようなモトゥヌイ島。そこの伝承に、女神テ・フィティの「心」は命を創り出す力がある。海しかなかったこの世界に島、植物、動物を誕生させたが、その心は悪党の標的になり、変身自在の半神マウイはテ・フィティから心を盗み出すが、逃げる最中に同じく「心」を求める溶岩の巨大な悪魔テ・カァの襲撃を受け、マウイはテ・フィティの心を海の奥底へ落としてしまう。テ・フィティの心がなくなったことで世界は闇に包まれ始める。しかし、世界が闇に覆われ尽くす前に、海に選ばれし者モアナが珊瑚礁を超えてテ・フィティの元へ心を返しに行く

 

ストーリーはザクっとこんな感じ。色々思った点は多いが幾つか印象的だったことをまとめてみると

挿入歌:「How Far I’ll Go」

「空と海が出会う線が~♪」とキャッチーなメロディーで、耳に残りやすい曲で自分の娘も繰り返し口ずさんでいた事から子どもが受け入れやすい事が分かる。

これはまさにアナ雪の「Let It Go」の「ありのままの~♪」と同じ状態で、ディズニーのミュージカル映画として、メイン曲を子どもが自分から歌えるようなものである事が重要なので挿入歌は成功と言えるだろう

 

CGのクオリティー

ディズニー映画を観る時はこの映像美も楽しみの一つ。アナ雪の時でも十分に雪の結晶等が細部にわたって描かれておりすごいと思った。さらに進化したのは「ズートピア」。主人公のジュディが警察官になり、田舎からズートピアに電車で行く時の背景がメチャクチャ美麗で、どんだけ細かい仕事したらああなるんだと思ったのを覚えている。

今回もそれと同レベル、もしくは超えているとも思える。特に「海」が光や質感、流れの動きなど非常にリアリティーもありながら、モアナを生き物のように助けたりするときの動き、そして「モーゼの海割り」(笑)もあり今回もいい仕事していたな~(*^▽^*)

 

ストーリー

これまでのディズニーのプリンセスシリーズは、恋愛要素が必ずあり古い作品ほど「お姫様を王子様が助けに来る」的なのが強い。

だが、アナ雪くらいからこの傾向に異変が(´Д`) あの時はハンス王子がまさかの悪役で、最後はアナがワンパンかまして海に沈める。一応クリストフと結ばれるので恋愛要素はきちんとあったのだが、「もう女の子は王子なんて必要としていない」というメッセージも込められていたように感じた。

そして今回。はっきり言って

恋愛要素 0%( 一一)

である。今回モアナの相手役になり得るのはマウイだけだが、多分この見た目にしたのは意図的なものだろう。本気で恋愛要素を入れるのなら、このマウイをイケメンにして最後に「あなたの事が好きな事に気づいたの」「俺も同じ事感じていた」みたいな甘いやり取りからキスでもすれば、「ああ、今回もヒロインのプリンセスはちゃんと恋愛成就したな。めでたしめでたしw」

だがあの見た目では、観ている方が「確かにこのシチュエーションなら惚れるわ」と共感できる部分が無い。実際この2人は喧嘩をしながらも、最終的にはテ・フィティの元へ心を返しに行くという目的の為に助け合った「仲間」という感じだ。

今回は恋愛ではなく、16歳のモアナを通して思春期にある様々な心理を映画で表現しているように思う。

・村長の娘だから、将来自分も村長になるのだと親から当たり前に言われる

・危険だからという理由で、自分の生まれ育ったコミュニティー(故郷)から出ることを許されない

どうだろう?似たような経験を10代にした人は多いのではないだろうか?このような事を親から強制されると大体は反発すると思う。将来する仕事は自分で決めたいし、住む場所だっていつまでも田舎暮らしなんて嫌だ。

ただ、自分にはまだ自立する力もないし、親が自分の事を思ってそう言っているのも分かっている。この迷いや葛藤をどうすれば良いか分からず悩むのもこの思春期頃かなって思う。

今回の映画ではそのような迷いや葛藤に対して「やりたいと思った事は、勇気を出してやってみよう」という一つのメッセージを示している。もちろんそれがこの問題に対する絶対的な答えではないと思うが、恋愛からメッセージ性の強い映画にシフトした新しいプリンセスストーリ。それが「モアナと伝説の海」という作品なのかもしれない!(^^)!

 

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